「表現する=作ったモノを発表する」ってことだとすると、

 「表現する=作ったモノを発表する」ってことだとすると、「作る」「発表する」の両方にモチベーションが必要で、それは本当に少数の人がやってることだったんだと思う。
 それがPCやネットのおかげで今は片方だけでも「表現」しやすくなっている、とは思う。


 だからといって全ての「作る」人が「発表する」とは限らないし、「発表したい」人が「作る」ようになるとは思わない。
 「発表する」にはリスク(や責任)がともなうから*1
 「作る」にはコストがかかるから*2


 そんなわけで「総表現社会になる」なんてのは幻想*3なんだと思ってます。
 それに、そもそも「作る」のも「発表する」のも興味ない人が圧倒的に多いんだよね*4。「作る」「発表する」理由はどちらも個人的ことであって、他人に推奨しづらいですからなぁ。

*1:あるいは批判されるから。

*2:あるいは自分の望むモノを作るのはやっぱり難しいから。

*3:あるいは既に表現している人の傲慢。

*4:より正確には、それらの主体になるのに興味がない。なので、手伝いとかならしてくれる。