『ねらわれた学園』はなぜだか撮影処理とキャラの演技(アクション)がめちゃくちゃ過剰な作品でした。本当にもうびっくりするくらい過剰だったので、あれに違和感をもった人がどれくらいいたのかが気になってるくらいです。
撮影処理が過剰なのはまあ今風とも言えるし、青春のキラキラした感じをストレートに表現したかったからなー?と思いながら観てましたけど。
(それにしても「やりすぎじゃね?」と思うくらい処理が入ってた気がします)
それに対して時折見せるキャラの演技(アクション)の過剰さは妙に浮いてて気になるんですよ。なにしろ普通ではあり得ない動きを唐突にしたりするんですから。しかも何の脈絡もなく。
今風の映像を作るために過剰な撮影処理を選んだのだとすれば、同様にキャラの動きも今風な「自然体の演技」にしそうなもんでしょう。なのに妙にアニメっぽい過剰な演技をさせてたので、観ていてちょっと引っかかったんです。
もしかすると脚本が意外にコミカルなのでそれに合わせた演技にしたのかな?とも思ったのですが、なんとなく最初の脚本はもっとシリアスだったのにわざとコミカルな方向に振ったような気もするんですよ。僕は今回のコミカルな作風は結構気に入ってるけど、それが『ねらわれた学園』という作品に望まれていたような気はあまりしなかったので。
そんな事を思いながら2回目を観ていたときに*1、これは「美しい(青春の)思い出」のストレートな表現だったのかもしれない、という事に気づいて一人で勝手に納得してました。
「美しい・思い出」だから過剰なくらいキラキラした映像だし、現実ではあり得ない動きもする。また「思い出」だからいろんな点が欠落してるし、もしかしたら事実とはちょっと違っているのかもしれない。
たとえばクラスメイトや先生、生徒会の関わり方が妙に中途半端なのは、「思い出」とあまり関係ない事はよく憶えていないからのような気がするんですよ。ほかにも「思い出」に関係ない些細な事は「お話」としては必要そうな部分も抜けているし、逆に「お話」に必要なさそうなどうでもいいことでも「思い出」的に重要な部分は細かく描いてるんじゃないのかな。
そういう作りになってるのだとすれば『ねらわれた学園』という「お話」を期待してた人には期待はずれで面白くなかった気がするし、お話を気にせずにノスタルジックな気分の映像を楽しんだ人は面白く観られたんじゃないかなあ、なんて思いました*2。
2012-12-03追記
監督のインタビューで撮影処理や演技の過剰さについて触れてました。
2012-12-10追記
アニメスタイルのインタビューでも「キラキラした青春の時間」が話題になってた。やっぱあの表現は気になるよね(笑)。