森岡浩之

 森岡浩之氏は「唯脳論」を読んでいるのであろうか。
 森岡氏の言語に対するこだわりを考えると「唯脳論」を読んでいる可能性は高いと思うが、少なくとも「夢の樹が接げたなら」を執筆した当時は知らなかったのではないか。
 「唯脳論」の出版が1989年であり「夢の樹が接げたなら」の執筆が1991年であることを考えると読んでいた可能性もあるが、小説の内容を考えると読んでいなかったと考えるのが妥当であろう。


 「夢の樹が接げたなら」中で「ユメキ」という言語について語られている。これは言語機能不全者のための言語なのであるが、その言語機能不全の理由を「ウェルニッケの領野の構造の問題」としている。しかし「唯脳論」によると「ウェルニッケ中枢の障碍では、音声言語が理解できなくなる」だけなのである。
 また「ウェルニッケの領野が右側にある」ことが問題だとされているが、再び「唯脳論」を紐解くとそこは「音楽(あるいは歌)を司る」とされている。であれば、「ユメキ」は音楽的な言語であり、その言葉は歌のようであると表現されるべきであろうが、そういったことはまったく記述されていない。


 以上の理由により、少なくとも当時の森岡氏は「唯脳論」を読んでいなかったと推測できる。
 もっとも、「唯脳論」を知らずに作られたと思われる「ユメキ」という言語は、「唯脳論」からみても正しく設計されているように思える。このことは森岡氏の洞察の鋭さを裏付けるものであろう。
 この優れた洞察力をもつ森岡氏が「唯脳論」を読んだのちに言語にまつわる小説を書いたなら、より凄味のある作品になるのではないか。
 残念ながら今のところそのような作品は発表されていないらしいが、いつの日かそういった作品が発表されることを心待ちにしたいと思う。