「ハイテク」に関する補足
思うに、養老氏の言うような「予測可能、統御可能」なものを脳は望んではいないのではないか。いや確かに「統御/制御可能」なものは望んでいるが、「予測可能」である必要はないのではないか。
「予測不能」の意味を「未来をあてることができないこと」とするならば、そういうモノをヒト(の脳)が嗜好することは、ギャンブルを含めたゲームや占いの流行をみても明らかだろう。
あるいは「予測不能」とは「予測をすることすら不可能」、もっと分かりやすく言うなら「想像不能」なモノを指すのかもしれない。でもそれは予測/想像不能な「事態」がほとんどの場合「悪いこと」なのが問題なのであって、仮にその「事態」が「良いこと」であれば問題ないのではないか。
対して「統御/制御可能」であることは、「手の届く範囲」においてはヒト(の脳)が望んでいるのは間違いないであろう。それこそ「不測の事態」すらを制御しようという試みとして「保険」があったり「フェイルセーフ」という概念があったりするのだから。
そう考えると、「ハイテク化」とは「制御」の及ぶ「手の届く範囲」を拡げることなのではないだろうか。そういう意見であれば納得できる。
だとしてもヒト(の脳)は「完全な制御」が不可能であると思っているか、あるいは是としないもののようである。何しろ「完全な乱数」を生成する装置を「ハイテク」に導入しようとしているのであるから。