『映画は撮ったことがない』疑問と答えの連鎖(pp.004-006)

 『映画は撮ったことがない』を読んでいて思ったことなどのメモ:


 「疑問と答えの連鎖」ってのは「疑問=前振り」「答え=オチ」を次々に提示していくってことなんだと思うけれど、ここでのポイントは

  • 「疑問=前振り」だけがよくてもダメ
    • 飽きる前に「答え=オチ」を見せるべき
    • 「答え=オチ」でがっかりさせてはダメ
  • 物語の場合は「大きな疑問」と「小さな疑問」と用意して、その大きさによって「答え」の出し方を変える
    • 物語の最初に「大きな疑問」を見せて、その「答え」を部分的に見せる
    • 「小さな疑問」と「その答え」の積み重ねで物語を進行する

――だと思ったのだけれど、どうだろう。


 ちなみに「前振り」については「よくないとダメ」なので(そうでないとそもそも作品に食いついてくれないから)、そこを頑張ってる作品は多いと思う。
 そのよい前振りで続きが気になって面白いと思わせるわけだけど、その後いつまでも「オチ」を見せないと興味が失せちゃうし、オチをみてがっかりさせるとやっぱり興味が失せちゃう。
(なので、オチを出し惜しみして引っ張って、結果がっかりする内容なのは最低)
 だからオチもしっかり考えようよ――と思った。実際、最初の前振りでは面白そうだと思ったのに、オチを見る前に飽きたりオチでがっかりした経験はたくさんあるしね。


 「大きな疑問」っていうのは

(略)5分たっても映画の向かう先と落とし所(物語がどこへ向かうのかという疑問とラストへの暗示という答え)が提示されない映画は、最後まで見ていてもたいてい糞映画であることがわかってきたのだ。
(『神山健治の映画は撮ったことがない』、p.006)

――にある「物語が何処へ向かうのかという疑問とラストへの暗示という答え」の部分で、その前の『サイコ』の解説で使っていたのが「小さな疑問」ね。
 「大きい疑問」がない作品は物語がどこへ向かうのか分からなくて「この後どうなるの?」っていうのが想像できないから、「続きが気にならない」し「次を見たい」とも思えないわけですよ。
 逆にそういう芯になる「大きな疑問」がある作品は安心して読める、というか。


 とりあえず上記が正しいとして。
 「最初は悪くないと思ってたけど、だんだん興味がなくなっていく」ような作品は「前振りはいいけどオチを見せずに引っ張りすぎ/オチを見てがっかり」だったり、あるいは「物語がどこへ向かうのかさっぱりわからない」だったりする気がします。
(だから漫画でもアニメでも小説でも、最初の数話(数ページ)を見て「前振りにちゃんとオチは付いているか」「大きな疑問が提示されて、その答えの方向は示しているのか」をチェックすれば、その後も期待できるかどうか分かる、かも)


 いわゆる萌え系の作品は「大きな疑問」がないケースが多いけれど、そのかわり「前振り」と「オチ」をサクサク出し続けて興味を維持してるんじゃないのかな。あるいは、萌え系作品が一定以上売れないのは「大きな疑問」を提示してないからかもしれません。