いまさら「動物化するポストモダン」(東浩紀)を読んだわけですが、状況設定や舞台設定のデータベース化に触れていないのはなんででしょうかね。

 東浩紀の論説はなんとなくは読んでいたけど、同世代のためか「当たり前」のことしか書いていないように感じていたためまとまった本を読んだことはなかったのですが、「動物化するポストモダン」の続刊*1を見かけたので改めて読んでみることに。
 読んでみたらやっぱりだいたい知ってる――というか肌で感じていることが書かれていたのですが、なぜ東さんがわざわざクドクドと書いているのか、何に問題意識を持っているのかが分かったのは収穫だったような気がします。


 読んで気になったのは「キャラクター設定」についてのデータベース化についてしか触れられていない点。「ゲーム的リアリズムの誕生」のほうも途中まで読んだけれど、やっぱり「キャラクター設定」がメインで他のデータベースについては触れられていないみたい。
 他にも「状況設定」とか「舞台設定」についてはデータベース化されていて、それらを含めて消費されていると思うのだけれど。キャラクター以外のデータベースについては気付いてないのか重要だと感じていないのか議論が発散するのを避けるために触れていないのか――がちょっと分からない。気付いていればクドクドと注釈を付けているはずなので、気付いていないんじゃないかって気がするけど。


 「状況設定」のデータベース化は、たぶん男性オタクより女性オタクのほうがすすんでいる、と思う。「やおいはハーレクインでシチュエーション(状況設定)が命である」みたいは話をむかし聞いた(読んだ)気がするし*2、僕が知っている(狭い範囲だけど)やおい本は確かに状況設定が重要のように感じる。
 わかりやすいのは「攻め×受け」という状況設定がキャラクター設定よりも優先されていることか。「ヘタレ攻め」「誘い受け」みたいな進化(細分化)もすすんでいるし。


 「舞台(環境)設定」のデータベース化は、ファンタジー(っぽい)世界設定の作品が増えているのがその証左になるかな。「自然主義からの乖離」という見方もできるかもしれないけれど。
 こちらについてはデータベース化が遅れていて、ゆえに現在進行形でデータベース化されているのが観測しやすいような気もする*3


 僕としては作品を楽しむ(妄想する、物語る)にはキャラクター設定だけじゃ駄目――というかすぐ飽きる――だから状況設定を(勝手に)付加するし、その(妄想、物語の)幅を広げるためには舞台設定もちゃんと用意されてないといけない(ような気がする)。
 そんなわけで最近の同人は舞台設定が(それなりに)準備されている作品がウケているんじゃないでしょうかね。男性向けで近年大ヒットがないのは舞台設定が弱いせいじゃないのかなー、と思ったり思わなかったり。

*1:ゲーム的リアリズムの誕生動物化するポストモダン 2」

*2:おそらくは中島梓さんか岩田次夫さんか三崎尚人さんあたりだと思うんだけど忘れた。

*3:マリア様がみてる」の「姉妹(スール)制度」とかね。