「萌え」とは弱者のか弱さに対する嗜好なのか。

 「燃え」が「強者の力強さ」に対する表現ならば、「萌え」とは「弱者のか弱さ/ひ弱さ」に対する表現に違いない、と思った。今更だけど。
 「萌え」の対象が主に子供などの社会的弱者だったり*1、あるいは「眼鏡」とか「貧乳」などの世間的には評価されていない物が対象になっている。逆に社会的な強者あるいは世間的に評価されている対象に対して「萌え」という単語は使われなかった。「萌え」の語源として、おそらく最初に使われたのが恐竜惑星の萌ちゃんに対してだったとしても、土萠ほたる説が根強いのはその「か弱さ」ゆえに違いない。
 オタクが「萌え」という弱者の弱さを好むのは、オタクアミーゴス的にいえば「世間的に評価の低いものを評価する」からだろうし、中島梓的には「自分より弱いものを求めているから」なのだろう。なんにせよ「弱いモノに自分は弱い」という、まあある種倒錯した感情の発露だった気がするのだ。


 もっとも今の商業化された「萌え」はただの性的嗜好の吐露に終わっているような気がするし、あるいはただの愛玩動物に対するような感情を「萌え」と言っているような気がするけどね。


――とか、なんで今更思ったのかというと、

 上記のように考えて、ようやく自分が「萌え」に興味がない理由が納得できたからだったり。
 弱さをひけらかしているキャラには確かに興味がないので(笑)。弱いキャラが強さを見せるのが好きなんだけど、確かに世間的にはそういうキャラには「萌え」ないようだ。

*1:メイドもその範疇かな。